海の見えるホテル 後編
2日目の朝
6時前に起床し豊島へと向かう準備をした。朝のひんやりとした空気の中、僕らはフェリー乗り場へと向かった。6:45分の便、まばらな客室内で朝の海を眺めながら朝食を摂った。いつも彼女は塩おむすびで、僕はツナマヨだ。空は薄い雲に覆われており柔らかい光が全体に漂っていた。
豊島に上陸すると、観光客慣れした猫が寄ってきて僕らの目の前で地面に身体を擦った。多分、彼なりのサービスだったのかも知れなかったけれど、生憎食べ物を持っておらず申し訳ない気持になった。それから、周囲を宛も無く散歩しカメラのシャッターを切った。
写真を撮り終えると、僕らは電動アシスト自転車をレンタルし島内を巡ることにした。暫く自転車を漕ぐと、かの有名な海の見えるカーブにたどり着いた。沢山の観光客がかわりばんこに記念写真を撮っていた。インスタで幾度となくこの景色の写真を見たことがあったけれど、実際に見ると想像よりも美しかった。青い海と空が一体となって一枚の絵画の様だった。
その後、豊島美術館のアートスペースに入り
(アートスペースは素晴らしかった、詳細は敢えて書きませんので実際に足を運んでみてください。)昼食は海に隣接したレストランでオリーブオイルと塩で味付けされたサラダとマルゲリータを食べた。
食後、フェリー乗り場へ向かうべく再び自転車を漕いだ。行きに登った坂を海風を浴びながら下った。スピードを出したり緩めたりして付かず離れず。時折、彼女がちゃんとついてきているか振り返ったりした。
フェリー乗り場から直島を経由し少し島を見物した後、ホテルのある港へと戻った。フェリーを待つ間、彼女は僕の膝を枕にし昼寝をした。僕は波の音を聴きながら小説を読んでいた。
ホテルに戻りシャワーを浴びたあと、僕は彼女にある質問をした。何故なら、これが最後の旅になるかも知れないと感じていたからだ。
その夜、線香花火をした。夏からずっと花火がしたかったがタイミングが無かった。毎日が忙しなかったからだ。煙草の箱からライターを取り出して火をつけた。線香花火の火の玉は想像よりも呆気なくコンクリートに小さな音をたてて消えた。この瞬間夏が終わった。
翌日、僕らはまた、暮らしのある場所に帰った。だけど寂しくなんかない、旅はまだ続くから。
海の見えるホテル 前編
昔から、人生に疲れた際に「瀬戸内海の島でオリーブ農家を営む」といった内容の空想をよくする。けれども、自分は1度たりとも瀬戸内海の島々に上陸したことが無かった。
だからと言うわけではないが、今回の彼女との旅行は岡山県を経由し島々へ向かう事にしたのだった。
午前11:40
岡山駅で彼女と合流し、アーケード街にある中華料理店へ向かった。どうやらその店は老夫婦が営んでいるようで、なかなか評判が良いらしい。小綺麗と言うよりかは、昔ながらの佇まいをしていた。僕らはすっかり「中華の口」になっていた。つまり、脳内でラーメンや餃子や冷えた瓶ビールが完璧に再現されていた。しかし、店が定休日らしく僕らは別のラーメン屋へ向かった。その店もまた人気店で40分程度列に並んだ。もしかすると、食事をする為に列に並ぶのは初めてだったかも知れない。やっとのことで小綺麗な店内に入ると、50代前半くらいの店主が一人で全てを捌いていた。その店主の動きが妙に機械的であった、調理の手順から挨拶まで。彼は日本初のラーメンマシンなのかも知れない。ラーメンはまずまず美味しかったと思う。彼女は「愛想って大事ね」と呟いていた。
その後、岡山駅から宇野港へ電車で向かった。毎度の事だが彼女は移動中の殆どを睡眠に費やしていた。宇野港に到着すると、石で作られた亀やアザラシやらのオブジェが僕らを出迎えた。辺りは静かで海の香りがした。
15分程海の方面へ向かって歩いていると、今回宿泊する建物に着いた。その建物は廃墟をリノベーションしたシンプルで趣味の良い内装をしたホテルであった。荷物を整理し暫く休憩した後、海をぼんやりと眺めながら散歩をしたり、地元の人々しか居ないであろうスーパーに寄ったりした。
夕食は彼女が予約をしてくれた焼き鳥屋へと行った。その後、ホテルの屋上にあるビアガーデンでドリンクとフライドポテトをテイクアウトし、海沿いのコンクリートに腰掛けた。夜の海の水面にはオレンジの光が揺れていた。ビアガーデンで流れている音楽が微かに波の音と混じっていた。ポテトでサワークリームをたぐりながら二人で他愛もない会話をぽつぽつとした。全てが非日常的だった。
薄暗い中遠くに見える島々、波の音、そして隣に座る彼女が。
ひと夏の終わり
最近はただ、延命治療でもしているかの様な日々である。緩やかに淡々と過ぎていく。疲れからか、食べたい物が1つも頭に浮かばない。これは多分生物が健康な状態ではないと言う証明になるだろう。
仕事が終わり、人も大して乗らない廃れた路線のバスに乗る。年季の入ったシート、薄暗い車内に光るピンクの蛍光色の停車ボタン。
シートにもたれて窓の外をぼうっと眺める。
窓ガラスの表面を水滴が滑る。水滴は代わり映えなく点から線になり流れる過程を繰り返していた。そんな過程を無心で眺め「何が楽しくて生きてるんだっけ」とか「自分はこのままで良いんだろうか」とか漠然と考える。大人と呼ばれるようになってからの方が突然泣きたくなる回数が増えた。劇的な原因が涙を誘うというよりかは、その原因は複合的かつ蓄積していたものだった。張り詰めた心が裂けてゆっくり視界が滲む。
最近は写真を撮る気力が無い。平日は勿論週末は部屋で過ごす事が多い。自分にとってカメラは楽しい時間の象徴だ。楽しい時間が流れる時には常にカメラがあった。それはその瞬間を思い出に残す為だろう。今は埃がうっすら被り置物と化している。
この間の旅行のフィルムは未露出で写っていなかった。フィルムを無駄にしたのはカメラを趣味として以来初めての事だった。
シャッターが虚しく空を切ってフィルムがから回る。あの日の記憶が感光していく。
8/5
pm23
寝ようと思っていたが、急に台所へ行き玉子サンドを作る。今作る必要は全く無いけれど、何となく今作りたかったのだ。玉子は厚焼きで白出汁と砂糖で甘くする。トーストしたパンにはマヨネーズとブラックペッパーを満遍なく広げる。
明日の朝食ができた。アイスコーヒーと共にいただこう。
梅雨が明けすっかり夏本番だ。心なしか街は一層騒がしく、活力に溢れている。昼休憩に立ちくらむ程の日光の下で煙草を吸った。
脳内では、波の音だけが聴こえる夜の海辺で缶ビールを飲んでいた。月が綺麗な夜だったと思う。
彼女との連休
22日の夜
僕らは広島駅の中央改札で合流した。会うのは実に4ヶ月ぶりであった。こんなご時世ではあるが、しっかりと感染予防をする事を条件に会うことにしたのだった。
ホテルに向かう途中にあるコンビニで夕食を調達した。彼女はサラダと味噌汁を摂り、僕はシーフードヌードルを啜っていた。カップヌードルはやっぱりシーフードだ。また、
合流する前に買っておいたアップルパイも一緒に食べた。多分、誇張無しで今まで食べたアップルパイの中で一番の味がした。
21日が彼女の誕生日だったのでプレゼントをした。マーガレットハウエルのバレエシューズ。この靴を選ぶのに何ヶ月も費やしたが、とても喜んでくれたので安心した。
23日の朝
僕らは電車で尾道へ向かう。二人で尾道に行くのは二回目だ。一度目に訪れたのは去年の10月であった。毎回恒例ではあるが、彼女は移動中殆ど寝ており少し寂しかった。海や街並みを眺めたり、喫茶店「キツネ雨」へ行くなどした。その後一度ホテルへ戻り休憩をした。晩御飯には念願の焼き肉を食べた。牛の握りが絶品だった。
24日
午前中、UNIQLOに行き彼女は白いカーディガンを買った。また、本屋にも少し立ち寄った。昼食はお洒落なピザ屋へ向かった。
昼からスパークリングワインを飲み二人共顔が真っ赤になった。晩御飯には広島風お好み焼きを食べた。ホテルに帰りクラフトビールを飲む事にしたが、栓抜きがなくビールの王冠と格闘した。てこの原理を用いれば10円玉で開くらしい、と言う情報を見たがそれは罠だった。あれでは到底開かない。(結局、部屋にあったフックの様な物で開けた。)
25日
この日は原爆ドームの付近を散歩した。
原爆ドームの屋根は元々緑色をしていたらしい。ゆく宛も無く散歩をしたあと「おりづるタワー」に登った。二人で折り鶴を折った。(久々に折ったので少々苦戦した)
その後、ラウンドワンでバトミントンをする。僕らは元テニス部だったため、バトミントンの腕に覚えがあった。数時間後、両脚が筋肉痛に襲われた。お昼は近くにあったカレー屋に入った。その後ホテルで2時間程昼寝をした。晩御飯は焼き鳥を食べた。
26日
最終日、チェックアウトの時間までゆっくり寝ていた。駅に向かい、星乃珈琲店でブランチ。お別れの前はいつも複雑な気分がする。
時間が許す限り一緒に居たい気もする反面、早くこの寂しさから解放されたいと言う気持ちもある。結局、自分は寂しさに負けて一本早い新幹線に乗る事にした。改札で彼女は手を振ってくれた。
新幹線の車内で将来の事を考えた。ぼんやりとしたイメージと一抹の寂しさが、遠のく意識の中に混じった。
繰り返す
コンクリートが剥き出した殺風景な風呂場には申し訳程度の小さな鏡がある。その鏡は身体の一部を写し込むことで精一杯なサイズだ。ふと、鏡に写った自分の身体の一部と目が合う、こんなに痩せていたかなと思った。
昨夜飲んだバドワイザーの缶を寝室から撤去し、清潔な服に着替えた。
今日散髪をされに行くためだ。
散髪はしにいくものでは無いからね、
久々に靴箱から出した本皮のローファーは埃被っていた。外に出てから気がついたので、ポストに溜まっているチラシの一枚を適当に引っ張り出し、靴をさっと磨いた。
余りにもひどい磨き方だとは自覚しているが
これが意外と綺麗に磨けた。本来であれば革靴専用の豚の毛のブラシで汚れを払い、汚れを落とす液で全体を拭き、光沢を出すクリームを最低三層は塗り込める。だが、そんな過程を経なくとも表面上の汚れは払える、一時的に。そして、また直ぐに汚れる。多分何事もそれの繰り返しに過ぎない。
美容室、髪を切られている間自分はずっと小説を読んでいた。単純にその小説が気になると言う理由もあるし、美容師との会話は溶けかけたアイスの表面だけを掬う時の感覚と似ていて苦手だ。30分ほどかけて自分の髪は1ヶ月前にそっくりそのまま戻った。まるで寸分の狂いも無い様であった。
伸びればまた場しのぎ的に散髪をされる、その繰り返しだ。
美容室のある雑居ビルから出るとプールを上がった時の香りがした。そして湿度も正しくそれであった。
22回目の初夏だった。
平凡な水曜日
何事もなく無事に仕事が終わった日は心が穏やかだ。身体に疲労だけが残ったことを除いて出勤前の状態と変わりはない。
つまり、かなりニュートラルな心境である。
晩御飯はどうしよう。
今日は朝から食事を摂っていない。だが、一から調理するのはかなり面倒くさいので、冷蔵庫の片隅に忘れ去られた様に凍っているボロネーゼの具を解凍する事にした。一人暮らし最大の利点は思うがままに自分の食べたい料理を食べる事が出来る点だと考えている。因みにこのボロネーゼは全体に占める挽肉の割合が尋常ではなく高い。つまり自分の好みはこういう風だ。
ここでくだらない話をするけれど、自分はカレーライスやハヤシライスを食べるときに白米の部分が欲しいタイプだ。全体にルーがかかっていてはいけない。ルーがかかっている部分を食べる合間で、一旦プレーンな白米が食べたいのだ。これはパスタも例外では無い。ソースがかかっている部分とそうで無い部分が欲しい。共感してくれるかも知れないしとても変と思われるかも知れない。